おバカ徒然草


おバカ徒然草

序段 つれづれなるままにひぐらしパソコンにむかひて・・・

日記風の随想風の感想風のメモ風のおバカ文です。怒んないでね。

(^_^)かわいい落花生達

千葉の山下さん"After the Rain"から 美味しくて可愛い落花生をいただきました。
そんでもってリコーからいただいたデジカメDU-2で撮影しました。


さて、徒然とは退屈の事、暇人のみお読みあれ(^_^)/
(ランダム掲載。最新を読みたい方は最後を。現在 第十五段 迄)

 

<<<目次>>>

*第一段*  <<<罪深き食卓>>> *第二段*  <<<下品の言訳>>>

*第三段*  <<<口の不思議>>> *第四段*  <<<子供をあやす>>>

*第五段*  <<<名前のお話>>> *第六段*  <<<健康の重要性>>>

*第七段*  <<<運命の悲劇>>> *第八段*  <<<過ちの種類>>>

*第九段*  <<<用途と流用>>> *第十段*  <<<名称の変化>>>

*第十一段  <<<食品の名称>>> *第十二段  <<<細の奥道>>>

*第十三段  <<<ハエの昼餐>>> *第十四段  <<<善悪の彼岸>>>

*第十五段  <<<紅白の考察>>>

 


* 第一段*

<<<罪深き食卓>>>

  私は「ちりめんじゃこ」や「シラス干し」を食べると人間の罪をひしひしと感じてしまいます。
「じゃこ」や「シラス」はたぶん、鰯か何かの子供で、恐らく無邪気に海を泳いでいたのでしょう。それを漁師が目の細かい網ですくい、 それを、熱湯で茹で干したりした物でしょう。よく観察するとどれもこれも、苦痛に身をくねらせています。熱かったのでしょう。
その事実を知っているのに、私は大根おろしの上にのっけたりして、大量の苦悩の小魚を口の中に放り込むのです。こんな罪深い事が あるでしょうか。
人間が生きていく為に、物を食べるという行為は必須のものであります。
例えば、ステーキを食うとします。その場合、牛一匹からステーキが100枚とれるとして、私の罪は100分の1ということになります。 ところが「じゃこ」はその何百倍いや何千倍の罪を犯すことになります。
例えばトンカツなら、ブタから50人前とれるとして、ステーキの100人前と比べても五十歩百歩と言えます。 しばらくは「シラス」や「じゃこ」はやめてステーキと豚カツで生きていこうと思うこともあるのですが、 胸がやけて又あっさりした「シラスおろし」を食べ、大罪を犯してしまう私なのです。
この頃は、イクラや筋子、たらこなどを食べても、罪を感じてしまいます。更に動物だけでなく、小さな植物性食品を見ても「あぁ、 ひとつひとつに命があるのになー」と罪を感じてしまうのです。例えば、モヤシや貝割れ菜、米粒にも哀れを感じてしまいます。 なのにおかわりなどしてしまう自分が悲しい。
先日、千葉の山下さんからいただいた落花生を食べながら酒を飲んでいて、 また思うのでした。「この豆のひとつひとつにも命があるのに、、」と見ると、そのひとつが小鳥のようではありませんか。 探して見ると、小鳥はいくつもいました。いとおしくて、これ又最近いただいたリコーのデジタルカメラで供養の写真を撮り ました。それが、このページの最初に掲載した写真です。よろしければ、線香の一本もあげてやってください。この後、彼らは 私の口中に放りこまれました。
  ●「今日の提言」  人間の罪をいくらかでも少なくする為には鯨を食うべきではないだろうか。

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* 第二段*

<<<下品の言い訳>>>

  「おバカの世界」のネタはどうも尾籠関係が多いようです。
お尻を噛まれた話、下痢の話、反吐の話題、おなら、ウンチ、ゴキブリ、Hなたくらみ関係、etc.どうしてこういうことになるのか。 みなさんの疑問を解明する為に、作者にインタビューしてみました。(自問自答)

インタビュアー「このホームページには腰から下、膝から上の話題が多いようですが何か狙いのようなものがあるのでしょうか?」
百舌花    「ふぎゃ!」
インタビュアー「ですから、このホームページで尾籠な話が多いのは何らかの意図があってのことなのでしょうかと聞いているのですが?」
百舌花    「ほにゃら!」
インタビュアー「だから、つまり・・・。まっ、いっか。」
要するの何にも考えていないようです。何となく書いてたらこうなった、というところでしょうか。
しかし、古今の文学作品を紐解くと(ここから、急に格調高くなります。)
今昔物語(だったと思う)では、さる姫君を恋した男、言い寄るのですが姫が相手にしてくれない。思い切る為に姫のオマルを 盗もうとします。つまり、姫のウンチを見て恋心をしぼませようとするのですね。当時は貴婦人は水をはった蓋付きの桶を使い 部屋で用をたし下女が捨てて来たものらしいのです。下女からその手桶を奪った男は、蓋をあけて見てびっくり。気づいていた 姫君はその中に香木を浮かべていた、という話です。
このころから、ウンチネタは文学作品に登場していたのですね。
江戸時代は松尾芭蕉が「奥の細道」で「蚤虱馬の尿(シト)する枕もと」と歌っております。馬のオシッコも立派な文芸になるのです。
齋藤茂吉の短歌に「街上の反吐を、、」とかいうはっきり忘れましたが、渋谷の町を反吐を避けながら北に進む、とかいうのが ありました。反吐も短歌になるのです。
<後日談>茂吉の短歌、わかりました。 「街上の反吐を幾つか避けながら歩けるわれは北へ向きつつ」でした。
夏目漱石のお嬢さんも書いておられました。漱石は正月にカルタをすると「屁ひって尻つぼめ」「臭いものにはふた」「頭かくして 尻かくさず」といったへんな札だけを自分の前に並べ身構えていたそうでございます。
太宰治も「富士には月見草がよく似合う」と言った文章の中で、井伏鱒二氏と富士を見ていると井伏氏が「放屁なされた」と 実にさわやかに書いておられます。
幾つも例に挙げましたが、要するに「ウンチ」も「おしっこ」も「ゲロ」も「尻」も「おなら」も須く文芸たるべし、 と言うことであります。とは言え、「おバカの世界」が文学とは申しませんが。
  ●「今日の教訓」  文学は思っているより臭い。

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* 第三段*

<<<口の中の不思議>>>

  私は「たん焼き」なる食品が好きです。
「たん焼き」がどんな物かと言いますと、牛の舌の表面の皮を取りスライスして塩をふり炭火で焼いた物です。これにたっぷりの 漬け物を添え、麦飯、テールスープ(牛の尻尾でとったスープにネギたっぷり)で食べますと、モウ最高。おいしい店とそうでない 店がありますが、私の経験では「太助」という店が最高です。
私はこの「たん焼き」を食べてると、いつも思うことがあります。それは、人の口にもタン、つまり舌がある。その口に牛の舌を入れ て噛む。口の中には目はない。にもかかわらずなぜ歯は自分の舌を噛まず上手に牛の舌だけ噛むのだろうか?ということです。 なぜ、間違って自分の舌を食べてしまう人がいないのだろうか。
食べながら、いつも不思議に思い周りで食べている人を伺い見るのです。
そして今日も「たん焼き」を食べて同じ疑問が浮かび、また、周りの人を伺い見ました。その時です。 私は思いっきり、自分の舌を噛んでしまったのです。
  ●「今日の真実」  痛い。でも、間違って食べてしまうという事はない。

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* 第四段*

<<<子供をあやす>>>

  子供が小さい時は転んだりぶつかったりすると、すぐ泣きます。
そんな時、全国的に行われている「あやし言葉」に「痛いの痛いのとんでけー」というのがあります。
これは世間で広く行われているにもかかわらず、ほとんど効果がありません。
効果がないばかりか、よけい甘えて助長し、更に泣きわめくことが多いのではないでしょうか。
そんなとき百舌花のこの方法をお勧めします。
先ず、痛がっている場所を軽くなでて「痛いの痛いのーーー」と言葉をのばします。一拍おいてから 「しばらくここに居ろ」と素早く言って、痛いところを軽く押さえます。子供は、あっけにとられて 泣きやみます。子供を甘やかしてはいけません。
  ●「今日の報告」  この方法は一度しか効きません。二度目は余計泣きます。

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* 第五段*

<<<名前について>>>

  このコーナー思ったより反響があって驚いています。
鈴木輝一郎氏お忙しい中、語句の用法の指摘までいただき感激です。古典にあるシモネタ の豊富な例もご教授いただきました。
山下さんには落花生の写真可愛いとおほめいただきました。
ぴよだんなさんからは、『姫君のオマルを盗む話がありましたが、これは、「平中(平仲?)物語」 では…?と思ったのですが、ふと考えてみると、「今昔物語」にもあったような気が します。』というお便り。私もよく覚えていないのです。知ってる人いたら教えてください。
その他、みなさん御感想ありがとう。

ところで今日は「名前」の話
昔の漫画に「愛と誠」てのがありました。梶原一騎作と思います。この題名は人の愛と誠実というテーマを 表すと同時に主人公の愛さんと誠さんの名前を表しています。うまいタイトルと思います。
また、「マジカルタルルートくん」とか言った漫画、テレビでもやってましたが、 その中に「意地川 ・類」(いじがわ・るい)という魅力的な少女が登場します。この類ちゃんは当然意地が悪い のです。つまりキャラクターが人名になっているのです。漫画家は面白い名前を考えるもんです。
再掲ですが「金色夜叉」に金持ちのぼんぼんで「富山唯継」つまり親の遺産をただ継いだ、なる人物がでてきます。 これも類ちゃんの類です。
明治のはじめ、「くたばってしまえ」といわれ筆名に「双葉亭四迷」とつけた方もいました。
私もひとつ考えました。ヒジョーに物事に慎重な男の名前「石橋・敲」(いしばし・たたく)です。
みなさんも面白いの考えついたら、メールください。
  ●「今日の感想」  現実の名前にもあります?正直(まさなお)という名の嘘つき。

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* 第六段*

<<<健康の重要性>>>

  日頃から私は子供達に言ってます。
「なんと言っても人間は健康が一番、人間は健康でなくなったら病気になってしまう。」
「そんなこと当たり前でしょ!」
「いやいや、おまえはまだ子供だからわからないかもしれないが、この当たり前の事が一番大切なんだ。俺なんか、もう、 健康の為だったら死んでもいいと思ってる。」 息子は子供なので、私の意見に対し何も言えずどっかへ遊びに行ってしまいます。
  ●「今日の教育」  子供は素直が一番です。素直に育ってくれるならグレてもいい。

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* 第七段*

<<<運命に悲劇>>>

  ネズミにもやはり人間同様、多忙な時期はあるのだろうと思います。そんな時にネズミはやはり 「猫の手も借りたい」と思うのでしょうか?

それはともかくとして、今日は運命について考えます。
結果がうまくいかないと「これも運命か」と思うこともありますが、私は決して運命論者ではありません。我々人間には ある程度、選択の余地があるからです。右の道を選ぶか左の道を選ぶか、自分の進む道は程度の差はあれ、選ぶことが できる場合が多いものです。
しかし、今日、私は「運命」についてのある事実を発見し、愕然としました。それはトイレでの発見でした。
私の子供の頃は、トイレと言えば和式と決まっていました。あの卵のような丸みの「キンカクシ」なる部分が優雅に 配置された和式トイレは、長く居ると足がしびれるという欠点はあるものの、シンプルなデザインの中に日本人の 美意識に訴えかける暖かみを内在していました。
しかし今は、日本中のトイレが洋式に席巻されており、どこへ行っても洋式トイレばかりになってしまっております。我が家も然り。 会社もフト気がついた時は、あのパパイヤを二つに割ったような洋式の便器に変わっていたのでした。
そもそも和式と洋式の機能上の大きな違いは何かと言いますと、和式はしゃがみ、洋式は座るという点にあります。しゃがむ という行為の為には何の道具もいらないのですが、座る為には椅子が必要です。洋式トイレにおいては「便座」という特別な 道具が用いられております。この道具に形状にはO型とU型があるのですが・・・。
えー話がそれてきたようにも思いますので元に戻しますと、そうです、「運命」です。
我々人間は自分の生き方をある程度選択する自由を有しているのにもかかわらず、洋式トイレの普及した現代の日本に於いては 過酷な運命の悲劇が起きています。つまり、人間の ウンチについては必ずあのO型ないしはU型の便座の間を通らなければならず、選択の自由という観点において不合理 きわまりない現実となっているということです。
例えば犬のウンチであれば、暖かな光を浴びた春の野にもっこりと鎮座する事も出来れば、落葉散る表参道で恋人達の語らい を聞きながらしゃがみこむ事もできます。
しかるに万物の霊長たる人間のウンチだけは、あの忌まわしい便座の間をくぐり抜け、直接、水の中に沈み、或いは浮くという悲惨な運命 を歩むのです。あとはただ狭く暗い管を通り汚水処理場へ行くだけです。トイレが水洗化された時にも悲しかったでしょうが、それ でも、和式では一時的に便器の中心部分の浅い水に座り今後の行く末など考える時間もありました。現状の洋式便器の大普及によって 人間のウンチには融資依頼、いや有史以来最大の過酷な運命の日々を迎える事となったのです。
人間は根元的に悲しい存在であるとは、以前から認識してはいましたが、今日この悲しいウンチの運命に思い至り愕然とし、 水洗レバーを下ろす手にも、しばしのためらいを感じる私でした。
  ●「今日の運命」  生まれたとたんに運が尽きる、かくも儚い運命の便達。

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* 第八段*

<<<過ちの種類>>>

  とりあえず私は数々の過ちを犯してきた。

たくさんすぎて、その全てを列挙することもできない。
知っている人もいるかもしれないが、ある時などは風呂場で洗面器に食いつかれて大騒ぎしたこともある。
みっともなくて人に言うのもはばかられる過ちは数限りがない。
なのに、一度もない種類の過ちがある。
いわゆる「一夜の過ち」である。なぜなのであろうか。なぜ他の過ちはほぼヤリ尽くしているのに、この「一夜の過ち」 のみしないのであろうか。
いや、決して私は「一夜の過ち」がしたいと言うわけではない、、、、。ほんとはし、、、。いや、まぁいい。
ただ何でこれだけないのかと、ただ不思議に思うだけなのである。
この過ちをしないまま、もうこんな歳になってしまった。いくらか侘びしい。
  ●「今日の侘寂」  過ちにも良いものと悪いものとがある。

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* 第九段*

<<<用途と流用>>>

  近々私は成人病の健康診断を受けることになっている。

血を採ったり、バリュウムを飲んでレントゲンを撮ったりするのである。前日の午後8時以降は食事も酒も水も とってはいけない。更に前日と前々日の二回、検便をして持参しなければならない。
この検便は大腸癌の検査の為の潜血反応を見るためのものである。昔の検便と違って台紙の指定された場所に便を ごく薄く塗りつければいい。ビニールの小袋に一式入っていて、その写真付き説明によると「添付のヘラで左の ように薄く塗る。右は塗りすぎ」とある。
この検便セットのヘラと言うのは、よく水羊羹やゼリー、プリンについてくる小さなプラスチックの先が四角い スプーンのようなものなのである。ような、と言うよりその物と言っていい。これは本来の用途とは違った用途へ の流用である。「これでは水羊羹が食えなくなっちゃうな」と同僚の一人はつぶやいていたが、しかし医学の 発展の為、それもいいのではないだろうか。
我が家では以前は(子供に物心がつく前)たこ焼きを焼く時の油引きに生理用のタンポンを使っていた。これは非常に 使い勝手がよく、使い捨てにも出来るので大変衛生的であった。本来の用途とは違う使用法ではあるが、タンポンも きっと喜んでくれたと思う。皆さんにも是非お勧めしたい。
「用途」とは本来、人間がとりあえず決めたことで、便利で衛生的で経済的であれば流用は自由である。そこに偏見の 入る隙間はない。きれいに洗ってあればシ瓶をビールジョッキに使ってもいいし、便器をカレー皿に使ってもいい。 可愛いところでは、子供用の便所のスリッパを壁にひっ掛けてペン立てにすると大変便利である。
私が尊敬する小説家で、ご懇意にしていただいている鈴木輝一郎氏は「KFCのコーンサラダをよく噛まず食べ翌朝の和式トイレ に出せるものを洗えばも一度食べ得る」のではないかという趣旨の歌を詠まれておられたが、その流用だけは無理かとも思う。
(氏よりご許可いただいたので歌の全文掲載「KFCのコーンサラダをよく噛まず食べし翌朝の和式トイレに出せるものを見て詠めり
        まんまでて 身にならず流さむ はかなさよ  洗えばも一度 食べ得るものを」
  ●「今日の流用」  おバカの世界は歯医者で利用できる。「おバカの世界有効利用法」

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* 第十段*

<<<名称の変化>>>

  私は外国語が苦手です。

何が苦手かって、動詞や名詞がそん時によって変化するってのを覚えるのが大の苦手。
記憶力が抜群に悪いので単語を覚えるのさえ難しいのに、過去形とか完了形とかモー判りません。
日本語もいろんな言い方があって戸惑うことがあります。
昔わたしはモーチョー(虫垂炎)になって手術をしたことがあります。翌日、若く美しい看護婦さんがベットの側に 来て脈を取りながら言いました。
  「もうオツージはありましたか?」私はきれいな人の手が触れてるだけでボーっとしてましたし「オツージ」 なる物を食べたことがありません。
  「あの、オツージって言いうのはなんですか?」と聞きました。純な少年の私です。
  「ベンヤガスです。」私はベンヤガスという物も食べたことはありませんから
  「ベンヤガスってのは?」とまた聞き返しました。
すると看護婦さんは顔を赤らめて「おならとかウンコです。」と低い声で言いました。純情な人でした。おならならおなら、 ウンコならウンコとはじめから言えばいいのにと思いましたが、
私は「まだです」と同じように顔を赤らめて言いました。看護婦さんは「出ず」とカルテに書き込むのでした。

思えば、この時が「人恋い染めし初めなり」だったのかもしれません。このような状態を「恋いに芽ばえた」などと いいますが、それは上品な方の場合ですね。私らなんかですと「あいつ色気付きやがった」なんぞと言われます。
それなんかはまだいいほうで「サカリがついた」なんていわれたりします。
同じことを言うのでもいろんな言い方があるもんです。
  ●「今日の言い方」  言い方ひとつでウンコも「お通じ」。美味しそうに感じます。

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* 第十一段*

<<<食品の名称>>>

  先日、健康診断があって、今、私はお腹の具合がよくありません。

それと言うのもあのバリュウムのセイです。胃のレントゲンを撮るために飲む、白く重いコップ一杯の液体。 それにはあらかじめ下剤も入っていて、検査後早急に体外に排出させるようになっています。
検査の為に前日午後八時以降は食べ物を口にせずにいたもので、終了した正午には私はたいそう お腹がすいていました。そこで私は久しぶりに好物の「タン焼き」を食べ、その後、出社しました。
出社してまもなく、お腹がごろごろといいはじめ、トイレに直行しました。バリュウムは「タン焼き」によって 押し出された形で、純白のブルガリアヨーグルト状になって勢いよく落下しました。会社のトイレは「ブルーレット置くだけ」 を使っていますので、まるで「クリームソーダ」のようで、そのまま流してしまうのも惜しく、しばし見入ってしまうのでした。
思えば子供の頃、私はクリームソーダが大好きでした。「大人になったらコレを毎日飲みたい」と願ったものですが、酒に取って代わられ 今ではあまり飲む機会もありません。
モノの本によれば、コレはアメリカで発明されたもので、シロップにソーダを入れアイスクリームを乗せる、というこの単純な 飲み物は当時の子供達を虜にしたそうです。日曜には教会にも来なくなる事態も生じたそうです。それで日曜はクリームソーダ禁止、 という事になりました。そこで考えたのが、パーラー経営者です。ソーダを入れなければいいんだろう、ということで、 シロップにアイスクリーム、日曜だけ出すメニューってことで「サンデー」となったそうです。今もありますね、これ。 私はチョコレートサンデーが好きでした。

話は大きくそれました。バリュウムの排出がいろいろの連想を駆り立てたというお話です。
バリュウムはこの後二回出たにもかかわらず、翌日もまた出てきました。だんだんと堅さと色を増し、翌日のそれは、 ブルーレットを使ってない我が家のトイレであったため、「あー、バナナのようだ。」と、私をして呟きせしめるのでした。
  ●「今日の連想」  出たものから食品を連想する。実に自然な行為と思います。

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* 第十二段*

<<<細の奥道>>>

  朝刊をみてましたら、ニュースです。

あの芭蕉の「奥の細道」の原本が見つかったのだそうですよ。あるもんですね、現代にも、そういうお宝が。
何か新事実が見つかったっていうので、「奥の細道」は、実は「細の奥道」だったとか言うのかと思いましたら そんなことはありません。やっぱり「奥の細道」だったそうで、一安心。
思えば私、「奥の細道」を読んだことはありません。最初の部分を少し教科書で読んだだけ。こういう人は多いのでは ないでしょうか。この際、一度読んでみようかな、とも思います。
ところで、この原本、いったいどこにあったかというと、関西の古書店主が秘蔵していたとのことですよ。で、 私は何の脈絡もなく早口言葉を考えました。
      「骨粗鬆症の古書店主」    わけの解らない話になってしまいました。
  ●「今日の書き出し」  マックはオープン価格にして、値崩れするも又度々也。

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* 第十三段*

<<<ハエの昼餐>>>

  今日は小学生の娘が開校記念日とかで休み、たまたま私も代休。

そこで昼食は外食と言うことになり、娘が「ミスタードーナッツがいい」と主張する。私が「昼飯にドーナッツ 何て」と言うと、そこには飲茶という中華メニューもあると、娘は言う。どうも本音はサービス券10点分で もらえる手帳が目的のようである。
しぶしぶ、車で冷たい雨の中ドーナッツ屋に出かける。そこらあたりはファーストフードの店が幾つも並んでいて 向かいはケンタッキーフライドチキン、ならびにはマクドナルド、その他アイスクリームやファミリーレストラン のチェーン店が軒を連ねている。
店に入ると、この天気にもかかわらずかなり混んでいて、レジには列が出来ている。めざとく空いている席を見つけて、 私は先に座って待つ。
店内を眺めると、ここは女性天国である。男は私を除いて子供が数人いるだけだ。店の人は見える限り女性で カウンターには若い女性、サポート役はおばさん風と、役割分担が決まっているように見受けられる。 客を見ると、たくさん買う人ほど太っているように見えるのは私の偏見であろうか。
程なくして運ばれてきた「炒麺セット」という焼きそばと肉まんシューマイ二個のセットを食べながら、背中合わせ に隣に座った若い女性二人の会話をそれとなく聞く。
    「ねーねー、私ってさぁ、空しくなっちゃうのよね、食べ終わると。」
    「そうよね、私も淋しくなる時ある。食べる前はワクワクするのにね。」
と、言いながら立ち上がって、出ていくときちらっと顔が見えた。食の前後に関係なく、毎朝、鏡を見たときに もっと空しさを感じるのではないかな、という印象をもった。
食べ終わって、娘が終わるのを待ちながらカウンターの方を眺めると、そこは保温されたガラスケースになっていて、 小さな子供がケースのガラス面を指先でなぞっている。よく見るとケースの中にハエが一匹いるのを指さしているのである。 まだ、店の人は気がつかぬらしい。
あのハエも、今はワクワクしながら暖かい春のような美味しいドーナッツのお花畑で飛び回っている。しかし、いずれは 見つかり、あの若いドーナッツガールに殺されるか、殺されないまでも冷たい冬の雨降る街に追い出され、さっきの 女性達のような空しさを感じるのかと思うにつけ、一抹の憐憫を禁じ得ないのであった。
私の感慨をよそに、娘はドーナッツ屋特製オリジナル手帳を手に入れて満足し、ランランランと帰途についた。
  ●「今日の憐憫」  やれ打つなハエがドーナツ食べている。

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* 第十四段*

<<<善悪の彼岸>>>

  朝刊に我が町で起きたひとつの事件が載っておりました。
見出しをご紹介しましょう

     テレクラ悪用し現金強奪
        少女ら6人逮捕

事件の概要は、「十六歳の女子高校生がテレクラに電話して知り合った会社員(五十一歳)を駅に誘いだし「友達がいる」と 言ってタクシーで小学校の校庭に連れ出した。待ち伏せしていた十八から十九歳の少年五人が会社員を殴る蹴るなど して二週間のけがをさせたうえ、現金二十八万円を盗んだ疑い。」
    と、まあ、よくあるワルな少女と鼻の下をのばしたオッさん、それから少女をとりまく、ヤンキー達の 事件なのであります。
    「Hなおじさんは心スベシ」という新聞社の親心でしょうか。ありふれた事件のわりには大きな見出し になっています。
私が「おやっ」と思ったのは「テレクラを悪用し」という文章です。
そもそもテレクラというモノは、詳しくは知らないのですが、およそ「良い行いをする為の所」ではありません。 例えば「教会を悪用し」とか「献血ルームを悪用し」なら意味もわかります。しかし、テレクラです。
例えばその容疑者の女子高校生が、被害者の五十一歳の会社員をだますことなく、援助交際のお約束などを 取り付けて、実行に及んだとします。するとこれはもう、被害者が被疑者に早変わりしてしまいます。 やはり「テレクラを悪用し」となります。
仮にテレクラを利用したモノの、少女にしろ、おじさんにしろ、Hな契約の調印に至らないとしても、それは 悪用の未遂であって、決して善用であることはありません。
なぜに「テレクラを悪用」などと当然の事をデカデカと見出しに書くのか?或いは記者は「テレクラを利用しても 暴力や盗みが伴わなければ悪用にはならない」と考えているのか、その新聞社もインターネットにホームページ をもっているので、そこんとこをメールでも出して聞いてみようかとも思ったのですが、ひょっとしてテレクラ に詰めて電話を受ける度に「君、こんなとこに電話してはいけないよ」と言っているおじさんもいるかもしれない、 とも思いやめておきました。
  ●「今日の善用」  どなたかテレクラの善用法を知ってたら教えて。

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* 第十五段*

<<<紅白の考察>>>

  NHKで大晦日恒例の番組と言えば言わずとしれた「紅白歌合戦」
しかし、イマイチ以前のような盛り上がりに欠けるように思います。 マンネリが原因でしょうか。そういえば「日本レコード大賞」もそんな感じです。もうレコードなるもの が売っていないのに「レコード大賞」では何かおかしい。今やCDの時代です。「日本ディスク大賞」に しなければいけないのではないしょうか。
「紅白歌合戦」も又、内容を一新する工夫が必要です。
そこで発明王を自認する私が、アイデアを出してみました。(「大発明」コーナーに載せても良かったかな?)
簡単です。先ずタイトルは「紅白桃歌合戦」(「こうはくとう・うたがっせん」と読む)とします。つまり 今まで男は白組、女は紅組だったのに、オカマの桃組を加えて、三つ巴の戦いとするのです。
桃組には全国のオカマバーから優秀な人材を募り、更に美川憲一さんや和田アキ子さんも特別、桃組に加えてもいいかもしれません。うーん、これはいいアイデア。
  ●「今日の桃組」  NHK関係者の皆さん、ここ見てる?

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