おバカのタイミング

この世で一番肝心なぁのは

おバカなタイミング



救われたいから信じたい

  繁華街を歩いていると、大きな交差点の信号の下に、欧米人とおぼしき長身初老の男性がプラカードを掲げて立っていました。足元に置かれたカバンの中からは、半ば雑踏の音にかき消されながらも、負けずに大きな音でゆっくりと「神の言葉」を繰り返し流しています。
  私は日ごろから不信心な生活を送っていますので、こういった場面では多少の後ろめたさを感じてしまいます。「信じるものは救われる」と申します。私も「救われたいから信じたい」と思ってはいるのです。しかし、いつも何らかの障害が起きて(悪魔の仕業でしょうか)信心にいたらないのです。去年の暮れには賽銭が必要だという事で断念しましたし、先日は本堂へ正座しなくてはならないということで遠慮してしまいました。
  見上げるとプラカードには「神を信じるものは永遠の命が与えられる」と墨痕鮮やか書いてあります。私のようにロクでもない人生を過ごしている人間にとって永遠の命というのはチト困ります。出来れば神様には「適当なところで終わりにしてやるよ」ぐらいのお慈悲をお願いできればなぁと思うのです。

おバカの活造り

  「永遠の命を押しつけられたらこまっちゃうしなぁ」と思っていると、それを見透かすように長身の欧米人がプラカードをくるりと裏返します。そこには「死後、裁きにあう」と書いてありました。永遠の命を嫌って神様を信じないでいると死んでから裁かれてしまうという、さすが神様、私のような凡人の浅はかな考えなんかお見通しです。そういえば今朝の食卓にのったおかずの塩サバも、死後さばかれて切り身されたのでしょう。そのうえ私のようなものに食べられて(美味しかったけど)生前よほど悪い事をしたのでしょう。生きながら三枚におろされる鯉などはよほどの極悪魚なのでしょうか。見た目ではわからないものです。
  バカの活造りはご勘弁願いたいところですが、私も生前ろくなことはしていませんから、死後さばかれるとしたら極刑は間違いないでしょう。で、極刑というと当然「死刑」ということになりますが、死後に死刑になるとすると、それはどういうことになるのでしょうか?ちょっと私のような凡人には難しい問題ですが、あるいはあの世では現世とは違って死後の死後があるのかもしれません。仮にこれを「五後」としましょう。そう言えば人が生まれた後を「産後」といいますから、この世の前に、一後から始まって二後ときて、現在は産後、次に死後と続き、五後、六後、七後・・・・・と、バカな妄想がここまで発展したとき、また別の「カミ」が行く手に現れたのでした。

おバカのカケヒキ

  派手な原色のナイロンジャンパーを着た若い女性が持つ「カミ」つまりサラ金のポケットティッシュを配っているのを見ると、私は心の動揺を禁じ得ません。緊張といってもいいかもしれません。1個もらえるか2個もらえるか、1個ももらえず通りすぎることになるか、はたまた稀に3個ゲットできたりと、その戦果はその日1日の運勢を占うような気がするのです。たまには連続して複数ゲットという、幸運のティッシュの女神に微笑まれることもあり、10個超ゲットのアカツキには、膨らんだ背広のポケットをに手を差し入れると、指先から温もりが心の奥底にまで伝わり、えもいわれぬ達成感についつい顔もほころびます。家に持って帰れば妻も喜び、家庭円満にも非常に役にたっていますし、サラ金の若い女性社員のお仕事をお手伝いしたというボランティア気分にもひたれます。翌日に運良く風邪などひいてそのティッシュを使うことにでもなれば、自分のしたことは間違いではなかったという充実感も味わえて、いい事ずくめです。

  さて、これまでの少なからぬティッシュもらい経験から言えることは、漫然と道を歩いていただけでは充実感も達成感も得られないといいうことです。あと1メートルというところで対向する通行人に間に入られたり、ちょうどティッシュの手持ちがなくなったりするはしばしばあります。
  世の中タイミングです。ティッシュもらいについても例外ではありません。
  ティッシュをたくさんゲットする為には、ティッシュ配りの女性を発見した時から心の準備をはじめなければなりません。まずはティッシュ配りの女性と自分との距離を測り歩数を計算します。次に彼女とティッシュの状況を把握します。ティッシュは手かごに入れているか、袋に入れて下げているか、数個手持ちで在庫のダンボール箱を近くに置いているのか、これらは重要な要素です。自分自身の態勢も大切です。荷物は全て持ちなおし右手は空けておかねばなりません。先に指摘したライバルとしての通行人にも注意を怠ってはいけません。こうなってくると街は戦場です。

  この日、ティッシュ配りの女性は赤いジャンバーを着ていました。距離は30歩というところでしょうか。準備には必要十分です。在庫のティッシュ入りダンボール箱を3歩後に置き、左手に6個、右手に2個持つという体制です。私の先を歩いているOL風に右手に持っていた2個を手渡しました。彼女は2個配りをしています。いい傾向といえます。現状を分析するとライバルは向こうから来る大柄のサラリーマンだけです。距離からいって彼が私より先に2個ゲットするでしょう。でも大丈夫!6から2をひいて4、私のモライをひいてもまだ2個の余裕があります。
  彼女の配るタイミングと私のもらうタイミングを合わせる為、ここで落着いてスピードをややダウンしました。男の沽券を保つため目は決して物ほしそうにせず前方の1点を見詰めます。彼女がティッシュを差し出したら「あっ?おーティッシュか。こんなところで配ってたんだ、ちっとも気付かなかった。まぁ、せっかくだからもらっておくか」といった素振りで受け取ります。そして、すぐにしまいこんだりせず「これもらっちゃったけどどうしようか?まっ、しかたない、ポケットにでも入れておこうか」という態度でしまうのです。しかし、あまりゆっくりしまってもいけません。次のティッシュ配りが待機しているかもしれません。いつも右手は空にして、サラ金のティッシュなど持ってない、もらうにやぶさかではないという様子を示しす必要があります。
  あと10歩というところに近づいた時点で予想通り、向こうから来た大柄のサラリーマンがティッシュを差し出され受け取りました。きっと作戦なのでしょう、彼もあまりうれしそうにはせず、さりげなく受け取り、さりげなくポケットにしまいこみました。しかし、彼の見え透いた演技を看破していますので、私はニヤリとしました。
  その時、その大柄のサラリーマンの後に、それまでは見えなかった中年の女性(いわゆるオバサン)が現れました。それまでは前の大柄なサラリーマンに隠れて見えなかったのです。私からティッシュ配りの女性まであと5歩という地点でした。不安はよぎりましたが、でも大丈夫。女性の手にはまだ4個ティッシュがあるはずです。あのオバサンに2個手渡しても、まだ2個、私にわたるべきティッシュが残る勘定です。「落着け!」と自分で自分に言い聞かせました。
  予定通り女性がオバサンに2個のティッシュを差し出します。すると、こともあろうにオバサンは「あらティッシュ!もっと頂だいよ、あたし花粉症でさぁ」と大きな声で言うではありませんか。女性はその声に圧倒されて左手に持っていた残りの2個も差し出したのです。オバサンはすばやく受け取り手に下げていた買い物袋にしまいこみました。女性は手持ちがなくなり、後ろのダンボールに取りに戻りました。その時、私がその位置に達し、世間のてまえそこで足踏みして待つわけにもいかず、後ろ髪を引かれながら空しく通りすぎるのでした。

バカ敗れて懺悔あり

  なんということでしょう。予定外におバカの天敵オバサンが現れ、作戦は完全に失敗。オバサンにはとても勝てません。またの機会ということもありますから、その時を期して精進をかさねなければなりません。オバサン探知能力をも身につけねばなりません。

  現代はストレス社会といわれています。私などは日々綱渡りのような人生を歩んでいて、道を歩く時でさえ、このように緊張を強いられています。道にときたま1円玉がおちていたりせず、若い女性が短すぎるスカートなどはかず、金を借りた友人と出会ったりしない世の中であれば、さぞや心穏やかな歩行ができるのではないでしょうか。そして、いっそのこと道でティッシュ配りをする女性がいなければとさえ思えてくるのです。そこで一首。

  世の中に絶えてティッシュのなかりせば 道の心ののどけからまし

  けっして「絶えてオバサンのなかりせば」とは言いません、口が裂けても。


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