SS ドリーム

ショートショート その13
ドリームチップ


 

 「ねえ、おじいちゃん、昔は国語も算数も学校で勉強したんだって」    学校から帰ってきた孫の治樹が言った。
 「そうだよ。理科も社会もな。ドリームチップなんてものはなかった  からな。小学生でも一日五、六時間は学校で勉強したもんだな」  夢を録画する装置が開発されたのは2030年代だった。その後の夢  科学の進歩は著しく、録画した夢を編集合成して再生できるようにな  るまでに十年とかからなかった。更にその後、映像や音楽を夢形式に  変換するドリームコンバーターが開発されると、この夢データを小型  メモリーチップにダウンロードしてヘアバンド風の再生装置に挿入し、   着けて寝るだけで夢として再生されるようになった。この頃から映画  の再生はこのドリームチップが主流となり、液晶やスクリーンに映さ  れる覚醒時映像は衰退、僅かにマニアが収集するだけのものとなった。  映画好きはレンタルショップでチップを借りるか、ネットサービスで  ダウンロードして楽しんだ。映画は寝ている間の娯楽となった。寝て  いる間に見るリラクゼーション映像も多数製作され社会からストレス  は一掃された。   精神科学の専門家達の研究により、夢として認識された知識は人の  記憶のより深い部分に蓄積されるため、覚醒時の記憶より効率的に吸  収されるとわかった。学校は週に三日登校はするものの、授業は体育  だけで、あとは生徒間の交流と部活動をして二日分 のカリキュラム  データを入力したドリームチップを渡されて昼前には帰された。宿題  や塾などというものもなく、ドリームバンドにチップをセットするだ  けで寝ている間に自然に勉強が身についた。   今では勉強嫌いの子は一人もいなかった。学力も向上して小学校は  三年、中学高校は各一年、大学は二年制になった。寝る子は育つと昔  は言ったものだが、今では寝る子は学ぶと言われ、一日十時間から十  二時間寝る子もいた。起きている間は勉強する必要がなかったためス  ポーツも盛んになり、それが学力体力双方を兼ね備えた健全な生徒を  育てた。その世代がさらに夢ビジネスのコンテンツを使ってベンチャ  ー企業を興しドリームビジネスは自動車産業を凌ぐビッグビジネスに  成長した。夢は、単なる夢ではななりつつあった。   ――いい世の中になったもんだ。   友達と野球してくる、と言って出て行った治樹の足音が遠ざかるの  を聞きながら、縁側でお茶お飲んでいた治三は思った。  治三は子供の頃、勉強が大嫌いで、ちっとも出来なかった。嫌いだか  ら出来ないのか、出来ないから嫌いなのか、そこのところはよくわか  らないが、当時あった教科書というものを開くとうんざりして眠くな  った。授業というものも退屈だったし、一時間近く同じ場所に座り続  けなくてはならないのが苦痛だった。それを一日に五、六回、毎日繰  り返す。何とかならないものかといつも思っていた。   それが今、何とかなっているのである。  「孫の治樹の時代に生まれてくればよかったな」   湯のみのお茶を飲み干し、そう呟いた。   ――治樹だってドリームチップのない時代にいたら、きっと勉強嫌  いの子になっていたろう。俺の孫だもの。教科書や参考書をみせたら  何だと思うだろう。一度もみたこともないんだから。あの退屈な授業  も一度聞かせてやりたい。きっと二、三日で音を上げるだろう。   治三は一人微笑みながら思った。   ――ぼんやりして年寄り臭いからと、治三を読み替えて『じーさん』  と渾名されていたこんな俺だって、人に迷惑をかけずに立派に生きて  きたんだ。  大したもんだ。結婚して子供を産んで育て、その子が孫の治樹を生ん  だ。人生なんて何とかなるもんさ。おふくろが、勉強しない人間はろ  くな者にはならないってよく言ってたけど、とりあえずこんな者には  なった。これでよかったんじゃないだろうか。
  見上げると青空には薄く鱗雲がたなびいていた。肩には秋の暖かい  日差しが差し込んでいる。静かで穏やかな秋日和だった。治三は大き  なあくびを一つした。
  ――そうだ。今日も治樹に頼んで、水戸黄門の続きをドリームチッ  プに入れてもらおう。
  治樹は小学生だがコンピューターなどの電子機器の操作に明るかっ  た。この頃ダウンロードした最新のプログラムだとドリームチップ内  の人物や動物に自分を登録する事ができるんだ、と言って先日の敬老  の日、ドリームバンドにインストールしてプレゼントしてくれた。最  近、治三は睡眠中に水戸黄門になって活躍している。悪代官役には昔  嫌いだったポン助という渾名の英語教師の映像を卒業写真から取りこ  んで貼りつけてもらった。この紋所が目に入らぬか!と言って代官が  ははーと土下座するところなど、痛快このうえない。   ――今日は悪徳商人の越後屋をポン助にしてもらおう。   あたたかい日差しが治三に眠気をもたらしたようだった。  「じーさん、じーさん」   誰かが背中を突っついて治三の渾名を呼んだ。   よだれを手の甲でぬぐいながらゆっくりと顔を上げた。  「お前なに寝てんだ、授業中に」   仁王立ちのポン助が目の前で治三をにらんでいた。