SS 幸子の幸

ショートショート その12
幸子の幸


 

  買物を終えてスーパーを出ると駐車場の前にある宝くじ売場の赤  い幟が西日に照らされてはためいているのが見えた。   ――そうだ。あのとき買った宝くじ、どこに置いたかしら?   重い買物袋を両手に下げ自分の車に向かって歩きながら幸子は思  った。井川さんから買ったあの十枚だ。   商店街を歩いていて井川さんの奥さんに会ったのは三月ほど前の  ことだった。息子の高校のPTAで一緒だった人で、その頃は時々  顔を合わせていたが、今は息子も成人し就職して家を出ている。会  うのは久しぶりだった。子供達に手がかからなくなったので今はそ  の先の宝くじ売り場で働いていて、これから出勤なのだと言う。お  付き合いに一枚頂こうかしら、とついて行くと近くを通る国道に面  した大きな駐車場の角に、小さな宝くじ売場の赤い屋根が見えた。  「うちの宝くじは当るって評判なのよ」   と井川さんは言った。遠くから買いに来る人もいるらしい。  「宝くじはね、こういう南に面した日当たりの好い売場で大安に買  うのがいいんだって。そして買ったら黄色い物に包んで家の西側に  置くといいって二回も大きく当てた常連さんが言ってたわ」   売場の壁に『今日は大安です』と書いたポスターが貼ってある。  幸子はそういう話を信じるほうではなかったが、井川に少しのせら  れたかたちでバラで十枚買った。そして、買ってからすぐ後悔した。  一枚ならともかく十枚では三千円だ。それだけあれば美味しいもの  が食べられる。夫に言ったら叱られるだろう。夫はケチだった。一  円でも無駄にするのが嫌いで、賭け事にはいっさい手を出さない。   ――あの人には内緒にしておこう。     宝くじを買った後、家に帰って幸子は包むものを探した。   ――そうそう以前息子の弁当を包むのに使っていた黄色いバンダ  ナを見つけたんだ。それに包んで・・・、そうだ。   記憶をたどりながら車を運転し、幸子は家に着く直前で思い出し  た。   食料品を台所に置いて二階に上がった。二階のトイレが西向だっ  た。幸子はトイレに入り、爪先立って棚の上に手を伸ばした。バン  ダナに包まれた宝くじはあの時のまま、そこにあった。   台所に戻り幸子は夫婦二人分の夕食の支度に取りかかった。味噌  汁の具の大根を刻み始めて、手を止めた。   ――やっぱり先に見ておこうかしら。   夫が帰って来たら見られない。どうせ当たりっこないんだから明  日でもいいのだが、やはり気になる。   当選発表の日からもう一月以上経っていた。幸子は物置に行った。  そこには古新聞を置いている。抽選日の翌日の新聞を探し出して居  間に持ってきて広げた。もう夕暮れがせまり部屋は薄暗くなってい  たが夫が帰ってくるまでにはまだ一時間ほどある。蛍光灯を点け、  老眼鏡をかけて新聞の番号を見た。   バラで買っていたため一枚一枚ゆっくりと見た。七枚目は末当の  三百円だった。八枚目九枚目と見て、やっぱりダメかと思って十枚  目の番号を見たとき、心臓のドキッという音が聞こえたような気が  した。眼鏡をはずして目をこすり、もう一度かけて番号を照らし合  わせた。間違いなく一等が当っていた。手が震える。立ち上がって  台所に行ってコップに水道の水を汲んで一気に飲んだ。犬のように  ハアハアと息をした。ハッとして慌てて居間に戻った。宝くじはち  ゃんとそこあった。番号をもう一度見たが、間違いはなかった。   幸子は新聞の当選発表の部分だけを破り取り、宝くじと一緒にバ  ンダナに包み直して二階のトイレの棚に戻した。   手すりにすがって階段をやっと降り、一番下の段に腰を下ろした。   ――二億円だ。私の物だ。我が家の貯えの何十倍もある。夫の退  職金予定額の十倍だ。私が当てたのだ。私の物だ。あのケチな夫と  別れてもいい。毎日食事を作り、掃除をして洗濯をする、そんなも  のは誰か雇えばいい。私一人で使う二億円、ああ私のお金・・。   色々な思いが幸子の頭の中を駆け巡りぐるぐる回った。     その時、ただいまと言って夫が玄関を開けて入って来た。  「どうしたんだ電気も点けないでそんなとこに座って」   慌てて立ち上がろうとした時、めまいがして夫に倒れかかった。  夫は驚いて幸子を抱えると、病気かと言ってベットに運んでくれ  た。額に手を置いて、熱があると言った。確かに興奮で顔が熱か  った。まだ夕食の支度が出来ていないと言うと、そんなことはい  いから静かに寝てなさいと言った。夫はやさしかった。時々額に  冷たいタオルを載せ替えてくれた。そして、丈夫がとりえのお前  が病気になるなんて結婚以来始めての事だな、と静かに言って微  笑んだ。   翌日、幸子はもう大丈夫だからと言って夫を会社に行かせた。  しばらくして起上がり二階からバンダナの包みを取ってきてベッ  トの上に並べた。確かに組も番号は合っている。だが、よく見る  と抽選日が違う。サッと血の気が引いた。やっぱり当るわけがな  いのだ。     午後に空き瓶を置きに物置に行った。昨日ほどいた新聞の束を  結わえ直す前に間違いない日付の新聞を探した。持ってきて居間   で広げてみる。一枚目が、今度は本当に当っていた。三等の十万   円だった。   これで夫と温泉にでも行こう、と幸子は思った。