SS7 着メロ

ショートショート その7
着メロ


 

  梶部長の家を出ると横山は急に肩が凝って帰りにもらったウイス   キーが心なしか重たく感じた。土産にケーキを持参していたから  日曜日の三時間を費やしてケーキとウイスキーを交換に来たような  ものだと思った。デートをキャンセルして来た事にも悔いが残った。   今日は新しく買ったというパソコンの設定を頼まれて部長宅を訪  れたのだ。食事時を避けて午後二時に行くとパソコンはまだ箱から   出されてもいなかった。書斎の古いパソコンを片付け、新しいパソ   コン本体にディスプレイを繋ぎプリンターを接続してインターネッ   トの配線を確かめ、メールの設定やワープロソフトのインストール   などひととおり終えると四時になっていた。暇乞いをして早々に帰  ろうとすると「まあ、お茶でも」とひきとめられたのだが、何の事  はない、使い方を一から説明させられたのだ。部長はパソコンに関  しては初心者同然だという事がそこでわかった。 「私がパソコンをあまり知らないってことは会社では内密にな」   帰りに部長は念を押した。高級ウイスキーをくれたのは口止め料  のつもりなのかもしれない。要するに見栄っ張りなのだ。   もちろん部長との付き合いに関することを口外するつもりはなか  った。親しいと思われるのは決して得策ではない。部長は社内では   嫌われている。典型的な無責任男で、失敗を人のせいにするのが得   意な事に加えて部下に対しては極めて傲慢だった。それでも出世が  早いのは上司に対してへつらいがうまい上に、社長の姪を妻にして  いるせいだと噂されていた。   このあいだ会社で携帯電話の使い方を聞かれた時、少し丁寧に    長々と説明したすぎた。部長は着メロの設定方法を知らなかった。  横山は相手毎に違う着メロにすれば誰からかかってきたか音ですぐ  にわかって便利だという事を教えた。求めに応じて会社や取引先や  家、それに怪しい女性の電話番号に色々な着メロを設定してやった。  「例えばですね、部長のご自宅からかかってきたとするとこのホー   ムスイートホームが鳴るわけです」  「そりゃ便利だ、ありがとありがと」   そう言って部長は喜んだようだったが、これを同僚達は横山の部  長に対するゴマすりととったらしく、白い目で見る者もいた。   だが一方で横山は部長に貸しを作っておくことが出世には有利だ  という打算もあった。多くの部下に嫌われているとはいえ梶部長は  いずれ役員になるに違いないと目される人物だった。   土曜の夜、その部長から横山の携帯に突然の電話があった。  「君はパソコンも得意だそうだね。明日時間があったら家に来て手  伝ってくれないかな。新しいのを買ったのはいいが設置するのに困  ってね。あまりこういう事は得意じゃないんだよ」   翌日は恋人の美佳とデートの約束もあったが  「はい、よろこんでお伺いします」   横山は即座に答えた。   それで日曜日に出かけて行ったのだが、その後パソコンにトラブ  ルがある度に部長は横山に電話をかけてよこすようになった。面倒   ではあったが、それも出世のためならと割り切って親切に教えた。   一月程たった頃、横山は会社のロビーで梶部長に呼びとめられた。  「やあ、やっとこの頃なれてきてね。パソコンは快調、インターネ  ットもメールもバッチリだよ。君のおかげだ。恩にきるよ」   と言いながらポケットを探って携帯を取り出した。  「ところでね、パソコンはいいんだがこの携帯がね、おかしいんだ。  電話帳からかけられないだよ」   ただ使い方がわからないだけのようだ。  「それでは試しに私の携帯にかけてみましょう」   横山は部長の携帯を手に持って、操作しながら教えた。  「このボタンを押して電話帳を開きます。横山なら右方向の『や』に  移動して矢沢さんの下の横山に合わせて、真ん中のボタンを押すと、  はい、私の電話番号がでます。そのまま真ん中のボタンを押し『発信』  というところに合わせてもう一度真ん中のボタンを押すと呼び出しが   始まります」   そこで実際に真ん中のボタンを押すと一拍おいて横山の胸ポケット  から着メロが流れた。  「ん?なんだこの曲は・・・」   梶部長が言った時、横山はハッとして慌てて携帯を切った。着メロ  は二秒ほど遅れて止まった。頭の中が真っ白になった。忘れていた。  横山は梶部長からの着信音を、植木等の往年のヒット曲『無責任一代  男』のコミカルなメロディーに設定していたのだ。   部長は携帯を取り返すとリダイヤルした。意外にもその操作は流暢  だった。横山の胸からまたそのメロディーが流れた。  「ふーん、私の携帯からの着メロがこれですか。そりゃまあ私は、こ  の世で一番、無責任と言われた男、ですからねえ」  『無責任と言われた男』のところに節をつけて皮肉っぽく言うと横山  をじろりとにらんで去っていった。後姿にも怒りが見えた。  目の前で電話される事をまったく想定していなかった。うかつだった。  もう梶部長筋からの出世は絶望だ。出世どころか・・・。   翌月の定期人事異動で横山に地方出張所転勤の辞令が出た。   ※本作品は過去某月刊誌に掲載されたことがあります。著作は百舌花です。