STUDY OF Pan2

パンツに関する諸問題

パンツについての浅い浅〜い考察

我が愛しの絹パン
我が愛しの絹パン。サラサラです。
蟻降るサルスベリ(「おバカのライセンス」参照)に吊しての撮影



・・・序論・・・

  現在は「パンツ」と言うと、その示すモノはきわめて多岐にわたる。
普通ズボンやスラックスと呼んでいるモノも「パンツ」と称する事もあって、電車の中で「あら、アケミったらパンツ似合うじゃない?」などと言う女性の声に驚いて振り向くと、何のことはない、ただのピンクのズボンをほめているにすぎなかったりする。紛らわしい言い方はやめてほしいものである。
だから、ここでは外側に履くモノを除外して、内側に履く下着類に限定したいと思う。

  皆さんはきっと意外に思われるかもしれないが、ここ「おバカの世界」の国勢調査の分析によって見ると、このホームページを訪れる人々の男女比はほぼ五分五分。インターネットをさまよう人々の男女比が男性優位の状況から見ると、これは女性が多いと言ってもいいと思う。だから私は常々、女性の為に女性が普通知り得ない情報を掲載してお役に立ちたいと思っていた。
そういうわけだから、今回の考察においては男性のパンツについて、女性の為に書いてることにする。これによって、さらに女性読者からの励ましのメールの増えることを願ってやまない。女性読者の皆さん!男性用パンツについて疑問、お問い合わせはジャロに聞いてもだめ、この百舌花博士に直接 mozuhana1@obakanosekai.com へ、メールでお尋ねくだされ。知ってることはかなり突っ込んで、知らないこともそれなりにお答えしたいと思う。

・・・パンツの歴史・・・

  思えば男性用のパンツは、私が生きてきたんん十年、激動の中にあったと思う。長い長いふんどしの時代と決別したのは、そう古いことではない。江戸時代はもとより明治、大正、昭和から戦後まもなくもふんどしを着用の時代が続いた。(この間、女性は腰巻きが主流で有名な東京は白木屋百貨店の火災までパンツは着用なさらないのが普通だったという)
  そしてパンツの夜明けは進駐軍と共に訪れた。いや一部のハイカラさんは猿股と称してすでに履いていたかもしれない。しかし、一般ピープルに出回ってきたのは戦後のことらしい。
この猿股はパンツという名称で親しまれることとなる。そもそも、ふんどしが「六尺」と「越中」に大別されるに対し、パンツはトランクスとブリーフに分けるのが一般である。(余談になるが、巷でブリーフケースと呼ばれるモノは決してパンツ入れではない。タダの書類入れの鞄にすぎない。ならば書類鞄と言えばいいように思うが、カッコつけてかブリーフケースなどと呼ぶ。パンツにとって迷惑な話だと思う。ならば女性の持つ書類鞄はパンティーケースか!と私は声を大にして訴えるが誰も耳をかさない。悲しい。)
  私が物心ついた時に履かされていたパンツは、この分類で言えばトランクスであったと思う。白いペラペラの綿の生地で、ゴムがしょっちゅう伸びたり切れたりしていたように思う。小学生の頃は半ズボンを履いていたから、この少しゆるめのトランクス(パンツと呼んでいた)だとイスに座わったとき正面から内容物がが見え隠れする事があるので注意を要した。
  このトランク全盛の時代にもいつしか陰りがみえる。「奢るトランクスも久しからず」ブリーフ時代の幕開けである。私が小学校の高学年になった頃かとも思うがサダカでない。おそらく、メリヤス生地が量産されるようになったからではないかと思う。メリヤスは漢字で「莫大小」と書くことからもわかるように、この生地には伸縮性がある。私たち男性の体、特に下半身は、普通、女性より凹凸が多い。だからそれを立体的に包む為には伸縮性は不可欠である。この合理性で、一時は日本中の男性の下半身を、メリヤス地のブリーフが席巻することとなる。
しかし又「奢るブリーフも久しからず」平凡パンチとかいう雑誌が、トランクスがかっこいいと示唆する記事を掲載し出したからではないかと思う。ファッションに気をつかう男の子がブリーフを捨てトランクスに奔った。彼らの中には「母親からのお仕着せブリーフ愛用者はマザコンである」と言いふらすモノもいた。
  この頃、私は東京で1人暮らしを始め、下着も自分で購入しなければならなくなっていたため、新宿のデパートまで、トランクス・ブリーフ戦争の状況の検分をかねて買い物に向かった。さすが東京のデパートは品揃えがよい。ブリーフもトランクスも、さらにクラシックパンツと称してふんどしまで置いていた。仔細に検分してみると、まだブリーフが優勢のようである。トランクスはどれも同じ型で、わずかに柄などに変化があるにすぎないのに対し、ブリーフは股上の深さでかなりの種類がある。短いものは超ビキニ、ビキニ、セミビキニ、スタンダードとある。色も白ばかりでなく、黄色、水色、紺、エンジ。柄物も一部ある。その上、ゴムに赤や青のラインを入れたり、BVDなどというブランド名も織り込まれていたりする。この時点ではまだ確かにブリーフに軍配が上がっていたと言える。
現在はどうかと言うと、私の観察では半々であるようの思う。ここ数十年、ブリーフ・トランクス戦争は一進一退を繰り返している。小学生頃までは母親が与える股上の深いブリーフ(アニメのキャラクターがプリントされたりしている)、中学高校から大学生、30代ぐらいはトランクス派が多いように思う、30代から40代はブリトラ相半ばで、50代からはトランクス派に移行していると見たがいかがなもんであろうか。最近はブリーフ風メリヤス生地でトランクス仕立ての折衷パンツも登場している。ピアザ選手が履いてテレビCMしているグンゼの製品などがそれである。ピアザ選手が履けばそれなりに似合うようだが、見慣れないせいかオッサンの猿股という印象もある。まだ2大勢力には及ばないようである。
ブリーフにもBVDが躍進する時代、グンゼの反撃、カルバンクラインの侵攻など栄枯盛衰の歴史はあった。トランクスも、今はほとんど見ることのない白から、現在も定番のチェック柄、ペズリー柄。またある時はド派手な浮世絵柄、虎や竜などのド派手プリントが登場したこともある。現在はトランクスのもニット地が現れて履き心地にも改良が加えられている。
デザインについては、ブリーフは相変わらずチョー小さいのから、ドでかいのまで幅があるのに対し、トランクスは脇に小さなスリットがあるかないかぐらいの違いしかない。またトランクスの多くが前開きであるのに対し、ブリーフは前開き、前閉じの2種類ある。この前の穴について、私はさきに書いた東京のデパートで売場の女店員に質問したことがある。
「あの、この前閉じの場合はオシッコの時はどうすればいいのですか?」
「はい、わきからということになります」
「わきからで大丈夫なものでしょうか」
「はい、支障はないそうです」
「それは誰が?」
「はい、メーカーの者がしておりました」
「わきといいますと右ですか、左ですか?」
「それはどちらでも・・・」
女店員が顔を赤くしたので、このへんで質問を中止した。どうも私はそのころからすでにオジサンの片鱗を示していたようである。

・・・憧れのパンツ・・・

  「おもいでの夏」という映画をご存じだろうか?
1971年のロバート・マリガン監督作品で、アメリカ映画の佳作である。ミッシェル・ルグランの哀愁を含んだテーマソングも有名だから、そちらで印象に残ってる方も多いと思う。
舞台は1942年のニューイングランド、15才の少年が人妻(ジェニファー・オニール)に恋をする物語である。主人公の少年も可愛いが、人妻役のジェニファーが美しい。軍人の夫が戦死したという公報が届き悲嘆にくれるその日、人妻は自分に憧れている少年を受け入れるのである。つまり、結ばれる。この場面が最高のクライマックス。マリガン監督の腕の見せ所である。浜辺に近いコテージの、ほの暗い部屋、見つめる少年、服を脱ぐ人妻。
私はこの映画で特別に印象的だったのが、この人妻のパンツである。これが実にいい。Tバックとかスキャンティとかの生地節約型のそれではない(それも嫌いじゃないけど)もちろんハイレグでもない(これも嫌いじゃないけど)股上の深ーいヘソも隠れるような純粋パンツなのである。これがジェニファーが着るとなんとも素敵で、郷愁を誘うというか、この人妻の優しさまで感じさせてくれるのである。
この映画を見てからというもの、私の憧れのパンツとなっている。あー我が青春のジェニファーパンツ!

  時は流れ、私は先日シルクのトランクスを買った。上に掲げた写真がそれである。
「三枚いくら」愛用者の私にとって、それはかなり贅沢な買い物だったと思う。しかし、シルクは私の憧れである。蚕が一本一本けなげに吐き出した糸を下半身にまとう。畑に生えた綿の花の残骸を巻き付けるのとは違うのである。袋から出してなでるとスベスベで、誠に履き心地がいい。あまりに軽くて履いた感じもしない。かろうじて、ゴムの伸縮力で腰に定着させているとの印象である。

  私はこの絹パンを着用して意気揚々と図書館に出かけた。
皆さんもそうだと思うが、なぜか図書館に行くと必ずと言っていいほど尿意を感じるものである。たまに便意の時もあるが、この時は尿意だった。さっそく図書館の清潔で静かなトイレに入った。入ると5台ほどならんでいる小便器の真ん中の1台に立った。
(このあたりからは、男性独特の行動をとることになる。女性の読者にとっては未知の世界だと思う。女性の読者の為に順を追って記述していきたい)
現在の便器はハイテク製品である。前に立つと便器の上にあるパイロットランプが点る。終了して立ち去る時に水を流す為の監視装置である。見られているようで慣れないと不快な感じもするがやむを得ない。私は、監視装置は気にしないようにして、長年の習慣に従いズボンのファスナーを下げた。この時、脳は下半身に対して「今から排尿する」旨の指令を送る。命令を受けた排尿関係の各機関及び括約筋はすみやかに臨戦態勢をとる。脳は手に対しても「ファスナーを下げ、パンツの前を開き照準を合わせて待機」と命じる。この命令系統はきわめて速やかに行われるため普段は意識する事もない。いつもきわめてスムーズに執り行われるのである。
ところがこの時は少しトラブルが発生した。下半身諸機関の臨戦態勢は整いズボンのファスナーも速やかに下げられた。しかし、パンツの、シルクのパンツの、前が開かないのである。盛んに探るが穴自体がない。あると思って臨戦態勢に入った下半身諸機関はタイミングが狂ってパニックに陥る。これはかなり慌てる。男性は、1度出る体勢に入ってしまったモノを無理に止めたり、出ている最中に中断したりするのが困難な肉体的構造になっているのである。「ありゃありゃありゃ」などと言いながら、尚も穴を探す。しかし、ない。このままでは新調の絹パンを濡らすという事態にもなりかねない。私は非常手段として、本来足を通すべき通路を臨時に経由するということで、この難局を乗り越えた。時限爆弾をあと数秒で止めた爆発物処理班の心境で目をつぶる。戦闘終了後「この機転がなければ」と思うとブルブルと身を震わすのであった。
それにしても、なぜにこのシルクのパンツには穴がないのだろうか?家に帰ってズボンを下ろすと、すぐにその謎は解けた。前と後ろを逆さに履いていたのである。後ろに確かに穴はあった。
ブリーフは逆さに履けば、履き心地の悪さですぐわかる。しかし、トランクスは前も後ろも大差ない構造になっているのである。発明家の百舌花としては、パンツメーカーに前後穴2個トランクスを提案したい。

・・・秘密の暴露・・・

  パンツの諸問題についてはこのぐらいにして、次にはそれに付随する男性達の極秘事項について、特に女性の為に、公開したいと思う。各自治体も情報は公開する傾向にある。我ら男性達が長い間にわたり隠し続けた悲しい事実も、百舌花オンブズマンによって今、アカされる時が来た!

  それは男性用トイレ内において、日々行われている。
男性は悲しい事に立って小用をたす事が多い。さらに手を抜きパンツを下げる事も省略しファスナーを下げるだけで事を行う。個室にも入らず、後ろに人がならんでいる状態で、平気で放尿するのである。音を聞かれ、湯気を見られて恥ずるところがない。男のはしくれとして、何と釈明していいか言葉がない。
女性達にはこの事実を長い間隠して続けてきた。甘いデートの合間にまで、この破廉恥な行為を繰り返していたことを、ここに告白する。懺悔すると言ってもいい。

  長年の隠蔽である。詳しく述べる義務があると思う。
我々男性は小用の際は、男性達が組織的に作り出した男性専用の便器、小便器の前に立つ。ファスナーを下げる。さらにパンツの前も開ける。ここまでなら寛容な女性なら許してくれるものと思う。しかし、この後の行為については、決して許してくれることはないと思う。まったく破廉恥な行為なのである。
  パンツの前、あるいはパンツのワキから、異形のモノを素手で引き出すのである。引っぱり出すと言う人もいる。また、つまみ出すと表現する方もいる。何と言い表しても破廉恥にかわりはない。せめてゴム手袋でも着用すべきかと思うのだが、なぜか素手で執り行うという悪習が定着して改善されていない。同性として悲しい。そんなことはしたくないのである。今日こそやめよう、明日こそやめようと思いつつやめられないでいる自分に絶望感を感じるのは私1人だけではないと思う。「自分だけではない、キムタクだって反町だって、総理大臣だって、大統領だってみんなやっていることなんだから」と自分に言い訳する気持ちが卑しいと思う。
さらに、絶望のうちに引き出した異形のモノを、終了と同時に速やかにしまい込めばいいものを、振ったりするのである。人によっては絞る者さえいる。これをせずにはいられない肉体的構造になっているのが、いかにも悲しい。これも、是非やめたいと思う。恥ずかしいと思う。
  ちょうど、どこぞの大会社の総会屋対策の総務部長もこんな心境だったのではないかと思う。あのオバQのラーメン小池さん似の小池某の総会屋ごときに「金など出したくない、利益供与などしたくない」と日々思っていたと思う。しかし、会社をスキャンダルから守るため、ずるずると破廉恥な悪習、商法違反を繰り返してしまったのである。「自分とこだけではない、第痴勧銀だって野々村証券だって、みんなやっていることなんだから」と自分に言い訳する気持ちを恥ずかしいと思っていたに違いない。悲しいサラリーマン男性のサガ!拘置所で男泣きに泣く気持ちが痛いほどわかる。
私もできれば、この行為を改めたいとは考えている。けっして喜んで引き出しているわけではないのである。浮ついた気持ちで振ったりしているのではないのである。男性は幼くして既に、この不条理な原罪を背負って生きているのである。

世の女性達の寛容を心からこいねがう次第である。


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