TALE OF OBAKA'S LOVE

おバカの愛の物語
愛薄きおバカの嘆き

・・・生き物飼育紀行・・・

*** 本当に犬はかわいいモノなのでしょうか ***


 

・お犬様の3大欠点・

  例えばフレアースカートに純白のブラウス、淡い色合いのカーディガンをはおった髪の長い美少女が、毛並みのよさそうな犬をつれてお散歩なさっているのは絵になります。そういうお嬢様の犬はポチとか白とかといった月並みな名前ではありません。アンドレとかロビンとかいう洋風です。もちろん雑種でななく血統書付きでしつけもよいゴールデンレトリバーなどで、たとえお嬢様を待たせて脱糞した後でも「わたしゃウンコ何ぞしたことはございあせん」てな素知らぬ顔で颯爽とお散歩を続けます。
  私なんかトイレの後はいつも「今してきたウンコ!チョー長がいんだよね」などと家族に報告してヒンシュクをかいますが、お犬様を見習って今度からは「ウンコなんかしてないもんねー」とポーカーフェイスで報告しなければと思います。

  ところで先日、私、扇風機を買いに出かけました。扇風機は家に5台もあるのですが、なぜかもう1台買うという事になってしまいました。(この辺の事情、私はイマイチ理解してない。)まあ扇風機は風が起こればいいわけですから、できるだけ安い無名メーカー品を購入し車のトランクに積み込みましたが、ふと見ると、隣の店にぞろぞろと人々が入って行くのが見えます。この不景気の世の中にずいぶんと繁盛の様子で、いったい何のお店かと看板を見ますと大型のペットショップです。私は生来の野次馬、ふらふらと吸寄せられるかのように人々について店内に進入してしまいました。
  はっきり言って私は生き物がそんなに好きなわけではありません。では「嫌いか」と言われると特に嫌いな訳でもありません。昔は、犬も猫もカナリアも金魚もミミズも飼った事があります。しかし、また飼いたいと思ったりもしません。
  昔、中国人の知り合いに「アナタハ犬ガ好キカ?」とたずねたことがあります。彼は「アレッテ美味シイヨネ」と答えました。驚いて「中国デハ犬ヲ食ベルノカ?」と再度たずねますと「イヤ、白イ犬ハ食ベナイ。黒ダケダ」と言います。後はどう会話を進めていいかわからずウヤムヤになりましたが、案外食べれば犬にも愛情がわくかもしれません。ただ、ペットショップで売っている動物は食用に供する為でなく、ひたすら愛玩するのが目的ですから私には不向きでしょう。
  しかし、ペットショップで動物を見る人の目は総じて愛情に溢れているような気がします。それでいて値札を見る目は険しいように思います。私は動物を見る目も値札を見る目も平等に険しく、一番安価な小犬でも13万円というのを見て「高い!」と驚愕してしまいます。あの大きさの肉ならスーパーなら決して1万円を超える事はありません。せいぜい数千円。家族で焼き肉パーティーを3回は開催できるでしょう。ペットの犬は逆に餌を食べる、ドッグフードなどという高級食品をお食べになります。これがお犬様の欠点の1つでしょう。そのうえ食べると糞尿を出します。始終出します。これは臭い。人間と同じぐらい臭いのです。そしてバッチイ。人間と同じぐらいバッチイ。決してこれをコレクションしようなどという気になりません。これが欠点の2つ目です。さらにお犬様はチョロチョロと動き回る、四六時中動き回っておられます。これが3つ目の欠点です。ジッとしていれば餌も少なくてすみ、餌が少なければウンコも少量ですむでしょう。動き回るから腹も減り栄養価の高いドッグフードを多量に食べ、食べるからウンコも多量にたれる。ひいては力が有り余って動き回る、という本質的に自己矛盾を内在した生き物なのです。この傾向はペットショップにいる動物すべてに言えるように思われます。猫も猿もハムスターも熱帯魚も、もちろんペットショップ内外の人間にもこの傾向は認められます。
  このようにペットショップは生き物に内在する自己矛盾の縮図といえるのですが、こと犬について言えば、ただ犬と呼び捨てにできない事情があります。江戸時代の「生類憐れみの令」の伝統が脈々と息づき、ペットショップのペット用品売り場では「犬侮れず、御犬様と呼ばざるべからず」と考えてしまいます。それはお犬様のお洋服を発見したからです。
  お犬様は本来ハダカで生活しておられました。そのため各種体毛を生やしておられます。しかるに毛の少ない人間と異なり、元来は服を着る必要はないのですが、ペットショップお犬様御用達お洋服売場の品種はけっして少なくありません。シャツにパンツ、ワンピース、ツーピース、レインコートにドレスもあります。人間用と異なるのはパンツにしっぽ用の穴がある事ぐらいでしょうか。おそらくメス用でしょうが生理用のパンツまであるのです。洋服だけでなく、お祭り用にハッピやユカタ、金太郎の腹掛けもあります。水着ももちろんありまして、ビキニは人間のモノと変わりありませんから、洗濯して干しておけばオッチョコチョイの変質者が盗んでいきそうなかわいいものです。ただサンプル写真で見るとブラジャーの前の部分はなぜか胸を隠さず背中にきます。これはエプロンドレスなどもそうで、エプロンは人間なら腰の前にきますが、お犬様では腰の後ろ、お尻のあたりを覆います。きっと人間が見下ろすことを考慮してのデザインなのでしょう。エプロンはともかくとしてブラについては是非!人間も見習って欲しいものです。だめでしょうか。
  そのほかに、お犬様用帽子、靴下、アクセサリーなど何でもありで、案外私よりいい暮らしをしているお犬様もおられるようです。私も犬になって美しいお嬢様に飼われればよかったなーと思う今日この頃です。

・昔日の“お犬様体験”・

  もう何十年も前のことになりますが、私も幼少のミギリ、犬を飼ったことがありました。

  ある日のことです。詳しい経緯は忘れましたが、我が家にみかん箱に入った白い子犬が持ち込まれ、飼うということになりました。ムク毛にひょうきんな目、動作も愛くるしく、私も可愛いと思いました。当時はドッグフードというものは一般的ではありませんでしたから、餌は残りご飯に味噌汁をぶっかけたものですみましたが、それでも小さはウンコはしましたので、やはり今の犬と同じです。
  家族の総意で犬小屋は工作好きな私が作ることになりました。当時ミカン箱やリンゴ箱はすべて木製でしたから、それらを分解した木材を使い日曜日まる1日かけて、ログハウス風の犬小屋をこしらえました。最後に屋根を赤く塗り、中に古毛布を敷いて完成です。出来栄えは上々の小さな可愛い小屋で、犬を住まわせるにはもったいない気もしました。子犬は気に入ったようで遊びつかれると小屋にちょこんと坐って休むのでした。そしてそれから数日は子犬の平和な日々が続きました。

  子犬がもらわれてきて2、3週間も過ぎたある日、学校から帰ると母は私の顔を見るなり「犬が死んだよ」と言います。驚いて事情を聞くと、路地で遊んでいるうちに通りに飛び出し、走っている車の側面にぶつかって行っき、キャンと一声鳴いて即死だったそうです。
  「ソクシってなあに?」
  「あっという間に死ぬことだよ」
  この後、私は蚊をたたくたびに「即死!即死!」と言うようになりました。
  「で、どこにいるの?」子犬は庭の片隅に毛布をかけられて横たわっていました。
  「どうするの?お葬式するの?」
  「さっき保健所に電話したら取りに来てくれるって」母はそういって洗濯物をたたみ始めましたが、それがたたみ終わるころにはもう保健所の人がきました。母が出ていって庭の方に案内するのが聞こえます。
  「これなんですけど」
  「はい、何か入れていく箱かなんかありませんか?」
  「じゃあ、この小屋に入れてってください」
  母のこの声を聞いて私はハッしました。あの自信作の犬小屋が持っていかれる!私は「やめてくれー、持ってかないでー」と叫びたい気持ちでしたが、それが言えません。子犬が死んだというのに、犬小屋が惜しいとは子供の私には言えないのでした。窓から覗くと保健所の人が赤い屋根の犬小屋を小脇に抱えて路地を出て行くのが見えました。あー私の傑作が・・・。
  子犬が死んだ事より、犬小屋が持っていかれるのが悲しく、私は意気消沈しました。大人たちは犬が死んでガッカリしていると思ったのでしょう、「またそのうち飼ってあげるからね」と慰めをいいます。「そうじゃない、あの小屋が惜しかったんだ」とも言えず「うんうん」とうなずきました。

  それから20日ほどすると、死んだ子犬をくれた人から「もう一匹あげる」という話しがきました。
  「もう一度飼うかい?また子犬がほしい?」と母が私に聞きます。子供は犬が好きだ、と大人は決めてかかっているようで、私は決して犬や猫がそれほど好きでもないし、世話をするのは少し面倒だなぁと思っていたのですが、子供として、純粋無垢を演じている子供として「いらない」とは言えず、心とうらはらに
  「うん・・・」とうなずいてしまったのでした、これが後の悲劇を生むとも知らずに。
  「じゃあ、ちゃんと世話をするんだよ。ご飯もやって、散歩にも連れてくんだよ」
  「うん・・・」このあいまいな返事を子供の遠慮と見たのでしょうか、その日のうちに2匹目の子犬がもらわれてきました。

  その犬は死んだ子犬と兄弟で、色は同じく白いのですが、雑種だからでしょうか、顔や体の特徴は違います。顔は面長で体毛は短く、さらに前の子より敏捷なところもありました。子犬のうちは敏捷でも何とか子供にもあつかえるのですが、都合の悪い事に子犬も徐々に大きくなっていきます。3ヶ月もすると力は子供の私と対等になってきます。それでも「ちゃんと世話をし、ご飯もやって、散歩にも連れてく」という当初の言質のために、私は半ばイヤイヤ餌を与え散歩に連れ出しました。なのにこの犬はかなりのわがままもので、餌をやればドンブリをひっくり返すし、散歩に連れて行けば勝手な方に行こうとするしで、だんだんと手に負えなくなってきました。さらに悪い事には「夜泣き」をするのです。子犬も母親から離されて淋しかったのでしょうが、体が大きくなればなるほど声も一段と大きくなり、キャンキャンと夜通し鳴き通します。近所からも苦情が出て、しかたなく家に入れると、今度は昼間の仕事で疲れた父や母が眠れず、うるさいから何とかしろ、と言います。私は物置に連れていって毎晩のようにあやすのが日課になりました。散歩に連れていって昼間のうちに疲れさせればいいかとがんばって散歩するのですが、けっしてまっすぐ歩こうとはせず、知らない家に入ろうとしたり、急に車道を横断しようとしたりします。くたくたになるのは紐をひく私の方で、もともと体力には自信のない私はもうすっかり疲れきってしまいました。私が疲れても犬はいっこうに疲れず、夜になると鳴きはじめ、夜中に物置で犬を抱きながら、あの時はっきりと「いらない」と言わなかったことを後悔しながら、泣きたくなってしまうのでした。
  そんな生活が3ヶ月も続くと、私はもう育児ノイローゼの母親のようで、昼は寝不足でボーっとして、夜が恐いという状態です。うとうとして犬の声が聞こえるもう地獄のようです。近所からの苦情も日毎に増えていきました。
  そしてある朝、とうとう父が宣言したのでした。
  「もうだめだ、我慢できない。この犬は捨てる!いいな!」
  私はもとよりいいに決まってます。始めっから犬が好きでもないのです。行き掛かりで飼うことになっただけなのです。でも「わかった、はやく連れてって欲しい」と言うわけにもいかず、名残惜しそうな顔をしてうつむきました。かくして父はその犬を車に乗せていずこかへと連れて行きました。
  その夜の私は、何という人非人でしょう、ぐっすりと、今までないほどぐっすりと熟睡できたました、犬の泣かない平和な夜を満喫して。
  そして、その後の犬の行く末を、私は父に聞くことはしませんでした。

その父も亡くなり、今となっては聞くこともできません。

  ●生き物って可愛いものでしょうか?

  私はテレビの動物番組が好きです。NHKの「生き物地球紀行」を見るために子供たちとチャンネル争いを演じたりします。庭にパン屑をまいて飛んでくる小鳥を見るのも好きです。でも、彼らといっしょに住みたいとは決して思いません。きっと私は生き物に対する愛情が薄いのでしょう。いっしょに暮らそうと言うほどの愛情がないのでしょう。きっと冷たい人間なのです。
  しかし今、何の因果か男2女1の子供計3匹を飼っています。思えば、これなんかあの犬よりもずーっと大変です。

 


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