Hなたくらみ2

おバカ男のHなたくらみ
Part2

中年男のはかなくも悲しい昼食

*** アムラーの茶髪、その許されざる後ろ姿 ***


 

・日曜出勤の昼食・

  その日は日曜だというのに何の因果か「出勤」という辛い定めの私でありました。会社に出てきているのは私の他に1人だけ。もう1人が1ごろ先に昼食に行ったため、私が食事に出かけたのはもう3時に近い時刻になっていました。平日なら2時頃までやっているそこらの店のサービス定食も日曜はありません。別に急ぐこともないわけで、どこに行くか道々考え、即決、そうだ例のラーメン屋にしよう!そのラーメン屋というのは並ぶので有名な店で、平日の昼食では時間の関係でとても食べには行けない店なのです。しかし今日は違います。多少、遅くなったからといってかまやしません。むしろ、こんな日でないと行けない店なのです。よし決めた。一直線にその店に向かいました。

  店に着くと、やはり人が並んでいます。でもいつもほどではありません。私が席に着くまでのあと5人だけ。もともと、この店はカウンターが10人、いつも相席のテーブルが12人と、さほど大きくはない店なのですが、店の人がてきぱきと席を詰めさせ注文を振りわけるため少しぐらいなら並んでいてもわりに早く席に着くことができるのです。5人なら10分も待てば大丈夫でしょう。私は並んでいる間に、注文は「みそラーメン」である旨を店の青年に告げ入口からすこし入ったカウンター席の後ろに並びました。

  私はこんな時には、並ぶ時間のつれづれに、いつも店の中の様子や食事をする客のようすなどを、それとなく観察するのを常としています。その時もそうでした。立っているのでカウンター越しに厨房の中も見えますので「そうか、あの段階でもやしを投入するのだな」などと思っていますと、もやしの投入以上に重要な観察物体がもっと身近にいるのに気づきました。それはカウンターに、それも目の前に座っているのです。

  その人は茶色に染めて肩まで垂らした長い髪がラーメンのドンブリに入らないように注意しながら、しきりに髪を耳に掻き上げていました。柔らかそうな髪からのぞくウナジは真っ白で、小さめの耳には8分音符の形のピアスをかわいらしくつけています。着衣はと言えば、今、流行の体にピタリとした小さめのシャツで、つやのある薄紫の生地です。下は黒いスラックスのようですが、何とシャツが短く腰のあたりが7、8センチも露出して白い肌がのぞいています。これは中年男性の血圧を上げるに十分な刺激と言わざるを得ません。私は暫くその白い部分から目が離せないでいたのですが、しかし、このような状態を世間に見られては「あのおっさんHなんじゃないの」のソシリを免れ得ません。私はけっしてものすごくHなわけではないのですが、多少は世間並みにHではあると認めるにヤブサカではありません。しかし多少のHを認めるにしても世間から指をさされて「Hな奴」と言われるにはあまりにも自分自身が哀れで、このままの状態を長く放置するにわけにもいきませんから、あたかも瞬間接着剤でくっつけたかのような視線を無理やり剥がすように首をゆっくり上げていきました。するとまた新たな発見があったのです。

  長年の私の観察的人生経験によりますと、女性が薄物のブラウス、シャツ類を着用した場合、その背中には必ず「横に1本、その上に左右に縦2本」の線が透けて見えるものなのです。薄物でこの現象が観察されない場合は間違いなく「ノーブラ」と断定して間違いありません。これを私は「薄モノ横1縦2の法則」と呼んでいるのですが、今しも私の前に座る観察対象にはこの「横1縦2」がない。まれに観察される「縦2なし」つまり肩紐なし状態でもないのは「横1」がないのを見てもわかります。「横1」があって「縦2」がない場合は単にストラップレスであるだけですが、「横1」がないのに「縦2」があることは絶対にあり得ないのです。これを我々は「薄モノ横なし即、縦なしの法則」と呼んでおります(蛇足ではありますが「縦2」はまれにクロスする場合がありますが、学会では通常の「縦2」と同等に扱います)。

  よってこの対象はノーブラである、と即座に結論づけた私は、もう腰の柔肌などめではありません。その正面からの眺望こそ観察すべきキーポイントであることは明らかです。正面がだめならせめて側面からでもと祈らずにはいられません。そう言えば、さっきからカウンター内のラーメン屋のおじさんが麺を茹でる手を動かしながらも、しきりにちらちらと私の前の「横なし縦なし」を盗み見ている様子。これはもう私の推理を固めるに十分な傍証であるとほぼ断定するにたるものです。

  この緊急を要する重大な局面をむかえて、私としてもただアンノンと事態を静観しておるというわけにはいきません。このまま静観していては、これまでの観察的人生経験の応用という「人生の目的」を達成する事ができません。更にまた、目の前でラーメンの麺を茹でながらも「人生の目的」を着々と達成しつつある同輩のおじさんに後れをとっては、日本男子として悔いを末代まで残すことともなりかねません。ココが正念場だな、と心の中で呟きました。着席の順番はもう私が次というところにまできているのです。

  これはどんな場合にも言えることなのですが、事態が切迫している時こそ落ち着いて考え観察するというのが現代社会を生き抜く大原則です。私は「落ち着け」と自分自身に言い聞かせました。そして周りを素早く観察しました。見れば「横なし縦なし」を覗き見ているのは麺茹でのおじさんだけではありません。モヤシ投入の青年も、野菜炒め中の青年も時々見ている様子です。見ていないのは後ろ向きに黙々とドンブリを洗うおばさんだけです。やはり、そうか、しかもあの注目度合いと、薄手の薄紫の生地とから察するにかなりの「透け具合」と結論づけて間違いはあるまい、急がねば。この場面で当面の重要な問題は、私がこの後、どこに位置するか、つまりどこに座るかということにつきるわけです。店内を鋭く観察してみると、何と幸運なことに「横なし縦なし」の左隣にいる青年のドンブリは今しも空になり立ち上がる気配、財布を出しはじめています。私はこの時、人生の勝利者として顔がほころぶのを禁じえませんでした。

  その心優しい青年が立ち上がり、空のドンブリが片づけられ、ラーメンの汁の飛び散ったカウンターが汚いフキンで拭かれると、私は店の人に促され、あたかも凱旋のナポレオンのように意気揚々とその席についたのでした。席について、すぐにも右に顔を向けたいというはやる心を抑え、私はさりげない風を装い前に置かれたコップの水を少し口に含みながら視線を頭上のメニューに注ぎました。メニューといってもいつもと同じ、変わっているワケでもありませんから見る必要もないのですが、それはそれ紳士のたしなみと言いますか、人生の機微を知る私の自然な行動と言ってよいのではないでしょうか。視線を上方から右方に転じるのに15秒ほどもかけたでしょうか。すーっと流れるようなベジェ曲線を描き、そのまま右に視線をとどめることなく前方にもってきました。紳士のたしなみとして、まじまじという視線の滞留を許可することができなかったのです。

  しかし何か違う、という印象を私は持ちました。あまりにも短時間の一瞥すぎたのだろうか? 期待していたふくらみがあっただろうか?まあ、ふくらみについては個人差があるからしかたがないにしても、そのふくらみの先端に位置するはずの突起はあっただろうか?やはり、あまりにも短時間の一瞥すぎたであろうか?いや、あまりに腹が空きすぎてこの一瞥では対象を認識することが不可能なのに違いない。こう自分を励ますように素早く考えをまとめると、再度、視線のベジェ曲線運動を試みることにしました。今度は上のメニューから視線を右に移した後、数秒の停滞を作戦の中核とすることにしました。

  そして視線を右に向けた、その時です。私の矢のような視線を感じたのでしょうか、その「横なし縦なし」が不意にこちらに顔を向けました。
  その時の驚きはといえば、小泉八雲「怪談」の紀伊国坂でのっぺらぼうにであった商人の驚愕そのものでした。
  目鼻こそちゃんと付いていたとはいえ、その顔はあのタレントの「武田鉄也」そっくりだったのです。武田鉄也そっくりの人間で、女性がいるはずもありません。女性でもないのに、ふくらみなどあろうはずもありません。
  私はもうベジェ曲線のゆとりもなく、ただ直線的に視線を前方に移し、心を落ち着かせるためにコップの水を一気に飲み干しました。私のラーメンが来る前にその当然「横なし縦なし」である「武田鉄也」似はラーメンを食べおえて「ごちそうさん」と言って去って行きました。まさしく男の声そのものなの でした。

  失意に打ちひしがれ、放心したようにラーメンを食べながら、私は人生の悲哀と驚愕を深く噛みしめていました。カウンターの中を見ると、おじさんは何事もなかったかのように 麺を茹でています。さっきチラチラ覗き見ていたのはただ「怖いもの見たさ」「変なもの見たさ」だったと初めて知る未熟な私でした。観察的人生経験の応用という「人生の目的」を達成するには、まだ長いミチノリが続くのでしょうか・・・・・・・・・。

 


おバカ事件簿へ戻る    おバカの世界メインページへ戻る