おバカにまつわるエトセトラその2

おバカにまつわるエトセトラ
Part2

おバカの世界探訪

いざ 我が 大人 への 誘い

***「おバカが大人になった日」 ***



・大人のはじめ

  皆さん、もう石原氏の大人シリーズ3部作及び番外編「大人の主張」はお読みになったでしょうか?恐らくまだでしょう。(決めつけちゃう)そうなるとあなたはまだ本当の意味で大人ではないかもしれません。
漏れ聞くところによると日本国内外のHサイトの多くでは「おまえは大人か?18or20歳以上か?」と尋ねて「私は大人である」と宣誓しYESボタンを押さないと拒絶されるということです。拒絶されてディズニーランドのホームページに島流しにされることもあるらしいのです。或いはあなたはそうやって島流しにあって「おバカの世界」来た俊寛のような人かもしれません。流島は悲劇です。鬼界が島に一人残され、赦免されて都に帰る成親・康頼らを涙で見送りたくなかったら、つまり「おバカの世界」で朽ち果てたくなかったら悪いことはいいません石原壮一郎氏の「大人3部作」+「主張」をお読みなさい。そうすれば正々堂々と「あんた大人?」「あたぼうよ!こちとら江戸っ子でぇい、東北の生まれよ!」と大ミエをきってYESボタンをクリック、誰に憚ることもなく眼福を得る事が出来るのです、いや、出来るらしいのです。
私も最後の「大人の主張」を半ば読み終えて、既に大人の見識を持ち始めています。「主張」の第1章「大人の色道辞典」では(どっちかって言えば大人の男を目指す方むき)、例えば[電車内における"鑑賞法"]の項、[混浴の露天風呂での心得]の項など、目次をざっと見ただけでも大人としてのチ的好奇心をくすぐる項目に溢れています。雨の日の電車内で傘を拾おうなどという自分に嫌悪さえおぼえてしまいます。

石原氏の著作に強い衝撃を受けたモンですから、またまた前置きが長くなりました。すいません。

エー、本題本題。
   私も近頃めきめきと大人の見識を身につけ、じょじょに真の大人と成ってまいりましたが、今思えば「あぁ、あの時が大人の世界に足を踏み入れたはじめだな」という時がありました。今回はそれをお話したいと思います。お暇なかたはご自分の体験と重ね合わせなどしながらご覧下さい。

・大人以前

  先日、晩酌の時に息子にした話から始まります。
「人間、男と生まれたからにはデカイ事をしなくちゃいけない」と言う話題になりました。となると、父親として当然デカイ事をした体験談などしなく てはなりません。

  現在、私の住んでいる町の中心部にある8階建ての大きなスーパー「D」の場所は、私が小学生だった当時は木造2階建ての電話局の廃屋がありまして「そのうち何かのビルが建つらしい」と言われていました。しかし、のんびりとした時代のこと、長いこと放置されておりました。今は街一番の大交差点となって、週末の夕方ともなれば近隣からナンパしたいアンチャンのやかましい車とナンパされたいオネーチャンが集まってくるあたりには、ビル建築に使う為の砂がうずたかく積まれていました。
  ある日の事です。いつものように小学校の仲間とその辺でカンケリなどして遊んでおりました。黄昏時ともなりますとメンバーが一人また一人と帰宅し気が付くと私一人になっていました。
一人になると急に不安になるものです。そして不安になると急に便意をもよおすものです。夢中で遊んでいたものですから便意の襲来も急激で、気が付いた時にはもう我慢が出来ない段階に達していました。
当時の私の数少ない経験からいってズボンの中にするウンチほど不快な事はありません。できればそんな事態は避けたいと小さな胸で切実に思いました。
ふと見ると大きな砂山です。裏側にまわれば子供を隠すには十分な大きさがあります。私たち仲間はいつもその砂山の麓でオシッコ飛ばし競技をしていましたから、オシッコをウンチに変えるという発想は極めて自然にわいてきました。
躊躇しているヒマはありません、さっそく砂山の裏にまわり手でバケツほどの穴を掘りました。簡易トイレの出来上がりです。ズボンを下げるなりストーンと排便し、もとよりふき取る紙など備え付けられてはいませんでしたから、そのままズボンを履きました。穴の中を見ると今しがたまで自分の体内にいたそのウンチのそのでかいこと。一抹の心残りを感じながらも子供のこと、コレクションとしれ取っておくスベも知らず(今も知らないけど)サッサと穴を埋め戻し立ち上がるのでした。

    「さーどーだ。この街広しと言えども、今や町一番の人通りを誇るあの"D"スーパー前でウンチしたのはこの俺一人しかいない!」
男として私はすでに子供のうちから大きな事をしてしまいました。この後、お尻の始末はどうしたか、砂山はどうなったかはとんと覚えていませんが、今もそのスーパーの前を通ると遠い昔の大をした思い出がよみがえるのです。

・大人開眼

それから程なくしての出来事です。

    標準語では「駄菓子や」というのでしょうか、子供相手に1円から5円10円、高くても30円位までの菓子や玩具を売る小さな店を、私の住む町では「一銭小屋」と呼んでいました。恐らく一銭で菓子が買えた時代の名称でしょう。ここに入るときは地方地方で独特の言い方があるようですが、私の町では「もーおーし」と独特のイントネーションで呼びかけます。きっと「申す」から来たのでしょうから電話の「もしもし」と同じですが「もーおーし」は「一銭小屋」以外で使うことはない子供専用の挨拶言葉でした。「もーおーし」と言って狭い店に入って行くと、口数少なく子供をじろっとにらむ恐そうなお婆さんが面倒くさそうに出てくるのが常です。店内には例によって得体の知れない菓子と玩具並んでいます。
    例えば、新聞紙の小袋に入った干からびた甘納豆(一回5円、中に「当り」と書いた紙があると幾分大きな袋の甘納豆がもらえる、が、ほとんどは「スカ」と書いてある、「スカ」はカスと同義でハズレのこと、この手のくじを「トスケ」又は「トツケ」と呼んでいた。)細い透明なストローに入った赤と黄色の寒天ゼリー(一本1円、色は違っても味はどちらも同じ、うっすらと甘いだけ、でも10円買うときは必ず赤と黄色を5本づつ買う)などなど
  ある日、小遣い10円を握りしめていつもの「一銭小屋」に出かけました。例によって「もーおーし」と発しながら店に入ると始めて見るお菓子が置いてあります。月光仮面チョコレートの「トツケ」です。
  「クレヨンしんちゃん」という漫画では「アクション仮面」が子供達のヒーローになっていますが当時の我々子供達のヒーローは何と言っても「月光仮面」でした。どこの誰かは知らないけれど誰もがみんな知っているヒーローです。
そのヒーローが大きな台紙に大写しになって颯爽とオートバイに乗っています。台紙には「当り」の1等から3等、それに「スカ」のチョコレートが幾つもぶら下がっていました。「スカ」は今のチロルチョコ位の大きさで薄いもの、3等2等になるとだんだん大きくなり1等は20センチ四方の大きいチョコで、素晴らしい事には、浮き彫りで月光仮面が二丁拳銃持ち、憎きどくろ仮面と対峙しているのです。
  いつもならかなり迷って店のお婆さんに「いい加減にしてよ」とせかされてから買うのですが、この時は迷わずこの「月光仮面チョコ」も「トツケ」に決定です。3分の1ほど売れていてまだ1等がでていません。1回5円でチャンスは2回、祈りながら2枚のくじを引いてペロリとなめると(このくじは濡らすと文字が浮き出る方式で、水を張った洗面器も用意してあるのですが、私はいつもなめて当落を確かめていました。その方が当たるような気がしました)
すると何と一枚が1等賞です。
もう気分は空を舞うようで、店のお婆さんがブスッとして渡してくれた、セロハン包みの大型月光仮面チョコレートレリーフを持つと一目散に家にかえりました。

  帰ってからしばらく眺めていました。見れば見るほど素晴らしい 出来です。20センチ四方のチョコレートの中にドラマがありました。
小高い場所へ止めたオートバイの横で月光仮面のおじさんが2丁拳銃をかまえています。拳銃を向けたその先には悪役のドクロ仮面とその手下が慌てふためき、彼らに誘拐されたであろう少女(おそらく何とか博士のお嬢さん)が助けを求めていました。テーマソングが聞こえてきそうです。
以後、私は数々のヒーローに出会いましたが(七色仮面やハリマオ、まぼろし探偵、エイトマンetc)どれも最後はこのパターンで決着したように思います。(何故か悪役が高名な科学者の娘を誘拐、ヒーローが救出)つまり、ヒーローパターンの原型がここにあったのです。
これはちょうど東京タワーの売店にある置物。レリーフで東京タワーと二重橋と国会議事堂と新幹線が混然と浮き上がり、何故か富士山も描かれ、ついでに忍耐と金文字で書かれて、万年カレンダーも付いて何とか実用性も兼ね備える、東京の曼陀羅。土産物の原点がここにあります。是非1つはゲットしたい一品でしょう。
  家族には決して手を触れてはいけないと厳命し、私はタンスの上に立て掛けた大型月光仮面チョコレートのレリーフを眺め回しました。月光仮面のマントの襞や小さな傷 までおぼえてしまうほど眺めました。10日ほども眺め暮らしました。
そのまま眺めるだけにしておけば今頃は「何でも鑑定団」で高値が付いたかもしれませ。しかし、ある日とうとう眺めるだけでは飽き足らない日がやってきました。月光仮面とは言え、それはチョコレートです。チョコレートはお菓子なのです。
菓子の甘い誘惑が「食べなさい」と囁き、意を決してセロファンを開けた私はドクロ仮面の足元をガブリとかじりました。すると、まるで石をぶつけた窓ガラスのようにボロボロと崩れたかと思うと、とろける甘さが口に広がるはずのそれが、くずれた石膏のようにモソモソと味もなく口に残ったのです。思わず私は吐き出してしまいました。
チョコレートと思った月光仮面のレリーフは、チョコレートのような色をしただけの甘さのかけらもない 摩訶不思議な代物だったのです。(いったい何だったのか今に至るもわかりません。)
バラバラになったヒーローを見つめ私は茫然としていました。

  これが社会の現実を知ったはじめです。こういう現実を体験して少しずつ大人になっていったのでしょう。大きなウンチに感動した純粋な子供の気持ちが、少しずつ衰えて行くのは残念ですが、月光仮面に大人の現実を教えられて現在の逞しいおバカの世界の私があるのです。

おしまい


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